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下田の金山
げだのきんざん
天正2年(1574年)に金が発見され、最盛期には千人を超える鉱山夫が集まり賑わった地区。加賀藩直轄の金山として栄え、藩の財政を支えてきたこの鉱山と村の繁栄と衰退の歴史は、今でも語り継がれています。
早月神社
はやつきじんじゃ
御祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)。早月川大洪水で高台に移転した立山社に、薬師社、神明社が合祀し、早月神社と改称しました。
中村の大杉
なかむらのおおすぎ
中村地区東端にある巨大な立山杉です。高さ20mあまり、樹齢300年以上といわれています。立山杉が低地にあることは珍しく、町の天然記念物にも指定されています。元々は立山の風雪から守るための杉並木でしたが、現在では、この一本を残すのみとなりました。
村巻神社
むらまきじんじゃ
御祭神は、誉田別(ほむだわけのみこと)で、徳川時代に建立されました。祭礼は伊折地区の伊保里神社の祭礼と同じく、春(4月)と秋(9月)に執り行われ、村人たちの交流の場としても大切にされています。
与平のお宮
よへいのおみや
折戸の与平が「早月川を守るために背負ってくれ」という神のお告げに従い運んだ大石を祀った祠。それ以降洪水が少なくなったとされ、土地や人を守る神として大事にされています。
大伴家持の歌碑
おおとものやかもちのかひ
「たち山の雪しく(来)らしも はひつきの河のわたり瀬 あぶみ(鐙)つ(浸)かすも」。 万葉集撰者・大伴家持が、雪解けで水かさを増した早月川の情景を詠んだ一句です。
立山神社
たてやまじんじゃ
御祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)・天照皇大神(あまてらすおおみかみ)です。神明社は、もとは村のあった白萩東部小学校跡地付近にありましたが、村の移転後に創建された立山社と合祀し、立山神社と改称されました。境内には幹回り5mを超える大杉があります。
大蛇が宿る大石
だいじゃがやどるおおいし
伊折橋の下にある2.5m四方の大石。その中央部にはまるで大蛇が生き生きと動いているようにも見える模様があります。この地区の人々は、「災害から守ってくれる水の守り神」としてこの大石を大切にしています。
覚石
おぼえいし
天正12年、佐々成政が遠州浜松の徳川家康の助けを求め、雪中「さらさら超え」をしたのは有名な話。その際、軍用金をこの高島の地に埋め、積雪のためこの大石を目印にしたとされ、覚石として伝えられています。
稲村城跡
いなむらじょうあと
稲村城は、このあたり一帯を支配していた土肥氏の居城であった堀江城の詰城の1つとされています。上市川ダム北側の稲村城山に築かれ、東尾根には堀切も設けられています。山頂の主郭はきれいに削平され、やぐら台の跡も見て取れます。
釈泉寺円筒分水槽
しゃくせんじえんとうぶんすいそう
「とやまの名水」にも選定されている円筒分水槽。令和4年、国登録有形文化財に登録されました。農業用水を安定して供給し、長年の水不足を解消した戦後の農業水利施設。国土の歴史的景観に寄与していると国から評価されています。